五島引越し便コラム【福江城跡】

こんにちは。「五島引越し便」ブログ担当、五島列島福江島在住のKです!

みなさん、どげん過ごしちょっかな〜?
(みなさん、いかがお過ごしでしょうか〜?)

さて今回は、福江港から徒歩約8分、福江空港から車で約8分の「福江城跡」をご紹介します。

福江城跡

残念なことに、福江城跡は現在、城の建物は残っていません。しかし本丸跡地に「県立五島高等学校」の校舎が建っている珍しい城跡です。

五島家の居城跡「福江城」は、石田の浜に築かれたので別名「石田城」と呼ばれています。福江城が築かれる前には、五島家第17代盛定(もりさだ)により「江川城」が大永6年(1526)年に築城されました。

その後、慶長19年(1614)年第22代盛利(もりとし)の時代に江川城が火災で焼失したので、石田浜に石田陣屋が建てられました。

フェートン号事件

五島近海では江戸初期より、異国船がたびたび出没していて、寛永18(1641)年には遠見番所が設けられ、6年後にはさらに4か所増設されました。

その後、文化5(1808)年に、イギリスの軍艦が長崎港に不法侵入した「フェートン号事件」が起こります。この事件は五島の殿様を驚かせ、石田陣屋では異国船に対応できないと、五島家29代盛繁(もりしげ)は幕府に、築城の嘆願書を送りましたが、許可はもらえませんでした。

築城の許可が下りるまで

江川城が火災で消失したのち、永年にわたり仮陣屋住まいを余儀なくされ、その間何度も築城の嘆願書を出し続けていた五島の殿様は、「タコに骨なし、ナマコに目なし、五島の殿様にお城なし」と皮肉って言われていたようです。

ばえ〜そげな言われ方、つんだしかね〜。
(わぁ〜そんな言われ方、かわいそうだね〜。)

ようやく築城の許可が出たのは、嘉永2(1849)年、第30代盛成(もりあきら)の時代でした。※この時幕府は蝦夷地の松前藩(いまの北海道松前郡松前町)にも築城を許可していて、両藩とも幕末期に築城された我が国で新しい城となりました。

その後15年の歳月と、2万両の公費を費やして文久3(1863)年に福江城は完成しました。海上防衛の為(国を守る為)につくられた福江城の城郭は東西約300メートル、南北約250メートル、周囲約1340メートルで、城壁の三方を海に囲まれた珍しい海城であり、我が国で最後に築かれた城です。

福江城の解体と五島高等学校ができるまで

福江城が完成した5年後に明治維新をむかえ、明治4(1871)年には廃藩置県により福江県となって、城地建物は陸軍省の所轄となり、翌年に陸軍省により公売にかけられ城は解体されました。

その後、明治33(1900)年に、城跡に県立五島中学校が創立され、これが現在の県立五島高等学校です。

石田城五島氏庭園

また城跡には、国の名勝に指定されている「石田城五島氏庭園」があります。

ここは京都の僧・全正に命じて造らせた第30代盛成の隠殿で、金閣寺の丸池を模倣して造られた林泉式庭園には多くの南方系の植物が配されています。池の形は「心」の字をかたどっていて、心字が池(しんじがいけ)と呼ばれています。

その他、二の丸跡には五島家の始祖を祭る城山神社をはじめ、五島観光歴史資料館、文化会館があり、城郭の西側には、横町口蹴出門と石橋、城壁や濠が姿を残しています。

城は残っていませんが、現存する石垣を見ながらぶらっと散策するのがおすすめです。

ぜひ、さるいてくだはれな〜。
(ぜひ、歩いてみてくださいね〜。)」

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