福江島コラム【堂崎天主堂】
こんにちは。「五島引越し便」ブログ担当、五島列島福江島在住のKです!
五島列島といえば、祈りの島。教会が多い島ということで有名です。(長崎県内に約130の教会堂があり、そのうちの約50(4割)の教会堂が五島列島にあります!)
そんな教会の多い五島列島で、島内各地の教会の制度が整うまで、五島キリシタン復活の拠点として、まさに五島における小バチカン的な役割を果たしてきた「堂崎天主堂」をご紹介します。
戸岐大橋
堂崎天主堂は、福江島の福江港から162号線を車で約15分ほど走った場所にあります。
途中、右手には湖と見まちがうほど穏やかで美しい海が見えてきます。昔はこの湾で、真珠の養殖やキビナゴの追い込み漁をしていました。現在はマグロの養殖をしています。
堂崎天主堂と戸岐(とぎ)の分かれ道に差し掛かると、パッと目を引く真っ赤な橋が目に飛び込んできます。
この橋は「戸岐大橋」といい、ランガートラスト型の橋で、海の青、山の緑に溶け込んだ赤色の橋です。

画像は戸岐地区から見た戸岐大橋です。(あいにくの天候で少し残念)

堂崎天主堂までの風景も良かとよ〜〜。じっくり見なはれな〜〜〜〜。
(堂崎天主堂までの風景も良いから、じっくり見てくださいね。)
堂崎天主堂

堂崎天主堂は明治12年(1879年)、パリ外国宣教会マルマン神父により、木造の仮天主堂が建てられ、ここを弾圧後の五島における宣教活動の拠点としました。
現在の天主堂は明治41年(1908年)、後任のペルー神父により建て替えられたもので、赤レンガ、ゴシック様式で、長崎県の有形文化財に指定されています。
内部はリブヴォールト天井(こうもり天井)や、椿をかたどったステンドグラスが美しく、荘厳な空気が流れています。
建設当時にイタリアから運ばれたステンドグラスやマリア観音など、多くのキリシタン資料が展示され、キリシタン資料館として公開されています。
また、お庭はキリシタン庭園になっていて、3つの記念碑が建てられています。
3つの記念碑

「出会いの日」永禄9年(1566年)
五島にキリスト教が伝わったのは1566年でザビエルが日本に信仰を伝えて17年後のことです。
時の領主・18代純定(すみただ)の要請により宣教師ルイスアルメイダと日本人伝道師ロレンソが来島し、キリスト教の信仰を伝えました。
この碑は、島の人々とキリスト教の出会いを記念するものです。

「受難のとき」慶長2年(1597年)
日本26聖人の1人である聖ヨハネ五島(五島出身)は、慶長元年(1596年)12月豊臣秀吉のキリシタン捕縛令が出された時、自ら神父の身代わりを名乗りでて捕えられました。
その後、長崎の西坂で19才の若さで殉教しています。この碑は、聖ヨハネ五島が死の直前、最後の祈りを捧げている瞬間をとらえたものです。
日本26聖人:1597年2月5日長崎の西坂にて、十字架刑に処せられた日本におけるキリシタン最初の殉教者。文久2年(1862年)教皇ピオ9聖により聖人に列せられ、その名を世界に広めました。

「復活の夜明け」
信仰の自由が認められると、五島にも宣教師が来島し布教活動を再開しました。
また教会建設とともに、孤児院、修道院設立にも力をそそぎ、日本における社会福祉事業の草分け的な役割を果たしています。
この碑は、その子供達とマルマン神父、ペルー神父の触れ合いの様子を形にしたものです。

堂崎天主堂は、海辺に立つ教会です。その昔、各地区の信者は乗合の船に乗り、船を漕いで教会に集まりました。
また、ミサを知らせる合図は、ミサの30分前にシスターが吹いていたほら貝の音でした。(寄せ貝と呼ばれます。)

なんて島らしい教会なのでしょう。
周辺ののどかな景色もまた見どころです。
まとめ
この記事では福江島の「堂崎天主堂」をご紹介いたしました。
五島には、中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島を中心に、たくさんの教会堂が点在しています。教会堂の歴史や、建っている場所、建築様式も様々です。
五島に移住される方、お引越しされる方、ぜひ五島の教会ばめっぐってみらんかな〜?。(五島の教会をめぐってみませんか?)
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